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文学者ならではのドラマチック

今世紀に入っても噴火活動は盛んで、一九二八年には、タオルミーナの南、マスカリの町が流され、カターニャ大学火山研究所の観測所やケーブルカーの山上駅も一九七一年に全壊している。こうなると地元でも溶岩対策が急がれるが、そのひとつにカターニャ市当局が作った。溶岩用運河があった。これは、山から海にかけて深い掘を作るというものだが、一九八三年の爆発では極めてよい結果を生んでいる。どろどろした溶岩の流れは運河に流れこみ、海に追いやられたのであった。当時の新聞は「実験大成功、我々の命も守られた」と、報じている。エトナ山は紀行文にもたびたび出てくる。D・H・ロレンスの「海とサルデーエヤ」でも、エトナ山を情婦にたとえ、男を狂わせ、邪悪な美しいおそるべき電磁波を、死の網のように投げかける。そしてエトナ山は多くの民族を追いはらった。ギリシヤ人の魂の中核を打ちくだき、ローマ人、ノーマン人、アラブ人、スペイン人、フランス人、イタリア人、そしてイギリス人にさえ、エトナは霊の息吹を与えて、それからその魂を亡ぼした……とある。ゲーテの「イタリア紀行」でも、外国の人はエトナ登山を非常に簡単に考えているようだが、山麓の住民でも、一生のうち最もよい機会を捕らえて二、三度頂上に登れたらそれで満足している、という地元の人の話を紹介している。しかし冬の好天の日、予備知識なしに穏やかに鎮座している日の神様の山を見ても、二人が述べるような近寄り難い感じは伝わってこない。文学者ならではのドラマチックでこまやかな思い入れがあるのだと思う。