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「社会的信用」は幻想だ

“社会的信用”という言葉も幻想だ。たとえば、大企業の人事部には、サラ金から従業員への返済督促の電話が代表番号経由でしょっちゅうかかってくるが(こういう誰の担当か曖昧な業務はたいてい人事部に回される)、ほとんどの場合「ああそうですか」で終了だ。本人に生活指導することはあっても、会社が立て替えてあげるなんてことは絶対にありえない。信用重視の金融機関以外なら、自己破産したあとも立派に働き続けている人間はたくさんいる。

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つまり、フリーだろうが外資系だろうが有名大企業だろうが、貸した金が焦げつくかどうかなんて、結局最後は本人次第ということなのだ。にもかかわらず、信用の有無による格差は、過去の話ではなしに現実に存在する。個人ではなく、その属する企業の持つネームバリュー、社会的信用性が評価される社会。挑戦よりも安定性を重視する風潮。ここでもまた、例の昭和的価値観の影がちらつく。どうやらその目に見えない価値観は、われわれが意識しないうちに、日本全体を包み込んできたらしい。こうして見ていくと、その価値観にとってなにより重要なのは、本人の能力やそれによる収入ではなく、「あるシステムに乗っかっているかどうか」であることがよくわかる。そのシステムに乗ってさえいれば、現時点での収入など問題ではない。なぜか「将来的にも長く勤め続けるだろう」と勝手に評価してもらえる。頼んでもいないのに、品行方正で将来性ある若者として、良家の子女相手のお見合いが転がり込んできたりもする。そのシステムこそ、昭和的価値観の王道に位置すると言っていい。それは、“年功序列”という名で呼ばれてきたシステムだ。