仕立屋でできる生地選びはさらに奥が深い。ブランドのパターンオーダーの生地は一般的に定番生地とその季節の流行生地とを合わせて、ざっと四〇〇種ほどある。ところが仕立屋の生地ストックは、さまざまな生地問屋の生地見本から選べるだけでなく、今やその店にしかないデッドストックものが保存されていることも多いので古い生地を選ぶことも可能なのだ。たとえば七〇年代に織られた生地と今の生地とを比較すると、生地の持つコシやハリが相当違うのがわかる。時代が進むにしたがって、軽くやわらかい生地が次々と登場し、仕立てあがったスーツの着心地に大きく貢献したのは事実だが、生地の魅力は軽さとやわらかさだけで語られるものではない。七〇年代にサヴィルロウで流行した生地に「トニック」という商品がある。これは英国風の威風堂々としたシルエットを形づくるのに適していたため、当時の裁断士がこぞってトニックを用いて、スーツを仕立てた。今では生産中止になってしまったトニックが、どこかの街の仕立屋にある可能性も残されている。軽くやわらかいスーツにも魅力はあるが、ときには英国的な雄々しいシルエットのスーツを着たくなることもあるだろう。そんなとき、トニックで仕立てることができたら理想的だ。既製服ではなく、注文服を仕立てる愉しみは、古い年代のワインをいい状態でキープしているワインカーブに行ってじっくりと気に入った一本を発掘するのと似ている。
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