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「有楽町」対「故郷村」

漏らしたものがあまりに大きな、ザルで水をすくったような話でしたが、とにかくこの章では、伝統的な日本のうた、そこにこもる哀しみ、詠嘆、喜び、弾みが、文化的覇権者である西洋の“すぐれた”うた心との接触によって徐々に軸を動かしてきた過程を追ってきました。その軸が形式的にでも一応西洋に近づいてきた時点で考えるべきことは、じゃあ西洋のソング形式にハマリ切らないどんな抒情をその時代の日本人は抱えていて、それをどんな形で吐き出してきたんだろうということです。

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あるいは、西洋の形式に収めてしまうときに、どんな照れが生じたのか。「照れ」とはハートとソウルのギャップに由来するものとも言えます。その照れを避け、より真実味のある本音を響かせるために、人々はどんなうたのスタイルを創出してきたのか。しかしもちろん、そこに行き着く前に、日本歌謡はさらに欧化の道を進みます。1950年代後半には、短調の流行歌の中心に、それまでのヨナ抜きに変わって、タンゴなどを通して入ってきていたヨーロピアンな短調の音階を、ダンスホールのブルースを装った“トンコ節”にのっけるというやり方が定式化します。佐伯孝夫作詞・吉田正作曲といえばほとんどがこのパターン。トランペット(またはサックス)とエレキギターのイントロ、強く押し出した4ビートのリズム、ストリングスやビブラフォンで味付けをする。歌手でいうと、ジャズ上がりのフランク永井の(東京午前三時)(有楽町で逢いましょう)(西銀座駅前)がズッポリこれで、松尾和子とデュエットした(東京ナイトクラブ)(59)では、リズムがスローなマンボに変わっています。都会のムードを表す旋律にはどんな特徴があったでしょう。三浦洸一(東京の人)(56)で確認してみましょう。